折鶴再生紙 平和おりひめ
 木野川紙業株式会社様HPより引用させていただきました



折り鶴は日本の伝統的な文化である折り紙の一つです。

現代では平和のシンボルとして考えられており、多くの国々で平和を願ってたくさんの皆様に折られています。
広島市には「原爆の子の像」に捧げられた折り鶴が年間約一千万羽(約10t)集まってきます。
現在も約100tもの折り鶴が保管されています。

この折り鶴ひとつひとつの平和への思いを、私たちの身近な物として
昇華させることはできないかと考え、再生紙として「平和おりひめ」を誕生させることができました。

「原爆の子の像」へと捧げられた折り鶴は、ひとつひとつ大切に再生紙へと昇華させ、
また皆様のお手元にお届けすることができます。
このような循環により、平和への思いも後世へと繋がっていくのではないかと私たちは考えています。

なお、収益金の一部は広島市の平和推進事業に寄付しています。

広島の平和記念公園の中にある『平和の子の像』をご存知でしょうか。
1958年に、原爆による白血病のため、わずか12歳でその生涯を終えた佐々木禎子さんの死を悼み、その同級生らの募金運動によって作られました。
佐々木禎子さんは、1945年8月6日、2歳のときに広島市に投下された原子爆弾による黒い雨よって、爆心地から1.7kmの自宅で被爆。 しばらくは不調を訴えることもなく元気に成長していった貞子さんでしたが、1955年に白血病と診断され、広島赤十字病院にて闘病生活に入りました。
入院中、貞子さんは、折り紙で千羽鶴を折れば元気になると信じて沢山のツルを折り続けました。しかし、その甲斐もなく1955年10月25日にこの世を去ったのです。
佐々木禎子さんをモデルとした平和の子の像には、毎年多くの人々が、その死を悼みまた平和を願って、多くの折り鶴が寄せられています。 像の真下にある石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです世界に平和をきずくための」と刻まれており、その思いに毎日多くの人々が手を合わせているのです。
『平和おりひめ』は、そうした多くの方々の思いが込められた折り鶴を、形を変えて新たな命を与え、多くの人々に思いを伝えていただきたいとして作られた、折鶴再生紙です。

 『平和おりひめ』の完成には、約4年の月日を費やしました。
単なる再生紙であれば、紙を溶かし固めるだけで良いのですが、折り鶴には捧げられた方々の思いが込められています。その思いをちりばめたままで新たな紙に仕上げるため、私たちはこのような紙に仕上げました。




『平和おりひめ』が、皆様や皆様の大切な方に、愛や感謝、
そして平和への思いを伝えるアイテムとしてご活用いただけることを切に願っております。